「これ、買うしかないのかな?」と思った夜

「電動ベッドって、やっぱり買うしかないのかな……?」母のうめき声を聞きながら、ベッド横の床にしゃがみ込んでいた。
母の寝返りを支える、そのたびに目が覚める
春の終わり頃だったと思う。母の夜中の声がはっきり聞こえるようになった。「痛い、腰が……」
最初は寝言かと思っていた。でも、それが連日続くようになると、さすがに放っておけない。
母の部屋は畳の和室。布団から起き上がる動作が難しくなっていて、自力では体をずらすことさえしんどそうだった。
私が寝ている隣の部屋からそっとのぞいて、母がもぞもぞ動こうとするたびに、私はその場に向かっていった。
背中に手を差し入れ、軽く体を持ち上げる。
たった数秒の動作なのに、自分の腰にズンと響く。何回か繰り返すうちに、「これは長く続けられないな」と思うようになった。
当の母も、「夜はあまり眠れないのよ」とぽつりとこぼす。
私も睡眠不足。翌朝の出社がつらくてたまらない。夜中に実家へ向かうことだってあったし、日中にふと眠気に襲われることもあった。
買う決断の前に、立ち止まりたかった
どうにかしなきゃ、と焦って検索したのが「介護用ベッド」。電動で背が起き上がる、寝返りしやすい、リモコンで操作できる……。
夢のようなアイテムに見えた。
でも、価格を見た瞬間、指が止まった。
安くても十万円台後半、高いものは三十万円を超える。ネットのレビューもまちまちで、「マットレスが硬い」「音がうるさい」といった不安要素もちらほら。どれを信じていいのかわからなくなった。
ベッドの大きさ、設置場所、コンセントの位置、動作音、リモコンの使いやすさ……買ったあとに「こんなはずじゃなかった」となるのがいちばん怖い。
夫にも相談してみたけど、「買ってみないとわからないこともあるよ」と言いつつ、「でも高い買い物だし、慎重に決めた方がいいよ」と。
結局、私はその夜、カートに入れかけた商品ページを閉じた。
なにか、ほかに方法はないのか。
買わずに試すことができたら、どれだけ安心だろう。
電動介護ベッドが必要になるとき

母の「起き上がれない」が現実になったとき、ようやく私も、ベッドのことを本気で考えはじめた。
最初は“寝具の不満”くらいにしか思っていなかった
母が「腰が痛い」「寝返りがうてない」と言いはじめたとき、私は正直、深刻には捉えていなかった。
年齢的にどこかしら痛いのは当たり前だし、今までだって何度か「ちょっと休めば治る」と言っていたから。
でも今回は違った。
朝起きても布団の中で丸くなったまま。トイレに行くのもやっと。
布団を掴んで必死に体を起こそうとするけれど、手足がうまく動かない様子に、こちらも息をのんだ。
「そろそろベッドを考えたほうがいいのかも」
そんな気持ちが、じわじわと現実味を帯びてきたのはこの頃だった。
「なんとかなる」は、もう通用しなかった
介護ベッドなんてまだ先の話。
そんなふうに考えていたのは、完全に私の油断だったと思う。
母が立ち上がれなくなっただけじゃない。
私自身も手首を痛めて、整形外科に通うようになっていた。
持ち上げる動作、支える動作、夜中に数回起きる生活――それらが一気に身体にきてしまった。
介護って、じわじわくる負担と、ある日突然くる限界の連続なのだと思い知らされた。
母のために、という思いはずっと変わらない。
でも、それを続けるためには「手段」が必要だ。
そのひとつが、電動介護ベッドだった。
レンタルで“失敗しない”選択肢を持つ

買わずに試せる方法――それが「福祉用具貸与」という制度だった。ケアマネジャーからその言葉を聞いたとき、正直ほっとした。
「買わなくても借りられるんですよ」その一言で救われた
ケアマネさんとの面談の中で、母の夜間の寝返り介助や腰痛の話をしたときだった。
「それなら、電動ベッドをレンタルで試してみましょうか」と、さらりと提案してくれた。
えっ、借りられるの? と内心驚いた。
しかも、介護保険の制度を使えば1割(うちの場合)負担で済むとのこと。
費用面のハードルが一気に下がり、肩の力が抜けたのを覚えている。
「福祉用具貸与」という言葉はどこか堅苦しく感じるけれど、要は“必要な介護用品を、まずは借りて使ってみましょう”という仕組みだった。
レンタルだからこそ、試せることがある
レンタルには、買い物では得られない安心感があった。
使い心地、音の大きさ、リモコンの反応、設置後の動線……全部“実物”で試せる。
もし合わなければ交換もできるし、やめることもできる。
「買ったのに失敗したらどうしよう」という不安がなくなっただけで、心に余白が生まれた。
設置もレンタル業者の方が丁寧に対応してくれて、動作確認までしてくれた。
大きな機械を家に迎え入れるということに抵抗があったけれど、その不安も少しずつ解けていった。
そして、何より母が「これなら寝返りがラク」と言ってくれたのが大きかった。
最初は警戒していた母が、スイッチひとつで体が起き上がる感覚に驚いて、少し笑ったのを今でも覚えている。
福祉用具貸与という制度を初めて知った

正直、「福祉用具貸与」なんて言葉、介護を始めるまで聞いたこともなかった。もっと早く知っていれば、あんなに悩まずに済んだのに。
制度があっても、知らなければ“ない”のと同じ
介護保険制度の説明冊子の中に、「福祉用具貸与」という項目があった。
でも当時の私は、ページを流し読みするだけで、どれも“まだ関係ない”と思っていた。
まさか自分が親の寝具について真剣に考える日が来るとは思っていなかったし、「用具を借りる」なんて発想すらなかった。
でも実際は、必要になってからじゃないと気づけないことばかりだった。
そして、必要になったそのときに「知ってるかどうか」で、動ける速さが全然違った。
“介護のスタートライン”に立てた気がした
福祉用具貸与でレンタルできるものは、電動ベッドだけじゃない。
マットレス、サイドレール、ベッド用テーブル、車いす、歩行器、手すり、ポータブルトイレ……。
家の中をどう整えたらいいか、何があれば母も私もラクになるのか。
そういう目で身の回りを見渡すようになったのは、電動ベッドをレンタルしてからだった。
それまでは、“困ったら自分でなんとかする”が私の基本姿勢だった。
だけど、制度に頼っていい。使える仕組みがあるなら、遠慮しないで使えばいい。
ケアマネジャーに「困ったら言ってくださいね」と言われたとき、「あ、私ひとりじゃないんだ」と初めて思えた。
介護が始まったというより、「ちゃんと始める準備ができた」。
そんな気持ちになったのが、この制度との出会いだった。
母の体も、私の腰も楽になった日々

「なんかね、起き上がるのが怖くなくなったの」母のこの一言で、あのときレンタルを選んで本当によかったと思った。
寝返りのたびにうなる声が消えた
電動介護ベッドが届いた日。
母は最初こそ「こんな大げさなもの……」と遠慮していたけれど、初めてリモコンで背もたれを起こしたとき、表情が明るくなった。
背中がすっと持ち上がるだけで、こんなに楽に感じるなんて。
母自身も驚いていたけれど、それを見ていた私の方が安心した。
夜中、母が私を呼ぶ声が激減した。
「自分で動ける」ことが、本人の自信にもつながったのかもしれない。
介助する側の負担も、確実に変わる
そして、私の腰。
あれだけ痛みを感じていたのが、嘘のように軽くなった。
ベッドの高さが調整できるので、無理な姿勢で中腰になることが減った。
身体的な負担が軽くなると、精神的にも余裕が出てくる。
「また夜中に起こされるかも」という緊張が減ったことで、私自身がぐっすり眠れる日が増えた。
介護って、「どう手伝うか」ばかりに気を取られがちだけど、実は「どう環境を整えるか」で楽になる部分も多い。
それを教えてくれたのが、このベッドだった。
そして何より、「あのとき買わなくてよかった」と心から思った。
試したからこそ、自分たちに合うものを見つけられたし、母も納得して前向きに受け入れてくれた。
「これなら買ってもいいかも」と思えた理由

「これなら、買ってもいいかもしれない」そう思えたのは、安心と納得がセットで揃ったからだった。
“いきなり買う不安”がなくなっていった
レンタル開始から2か月ほど経った頃、母の口から「このベッド、気に入ったよ」という言葉が出た。
最初はどこか借りものっぽい遠慮があったけど、使い慣れてくるうちにそれが消えていった。
実際に使ってみて、音の大きさも許容範囲だったし、起き上がりのスピードも丁度よかった。
柵の位置も、布団のずれや落下防止にちょうどよく機能していた。
ネットの写真や説明では分からなかった細かい部分――例えば、足のキャスターが床の段差に引っかからないかとか、掃除のとき移動しやすいかとか――そういう実感が「買っても後悔しないかも」という判断材料になっていった。
本人が「これがいい」と言えることの意味
何より大きかったのは、母自身が「これがいい」と言ってくれたこと。
選択肢を与えられたうえで、本人が納得して決めること。それが介護の中では本当に貴重なんだと実感した。
「必要だから買う」ではなく、「気に入ったから買う」。
この気持ちの違いは、日々の過ごし方に直結する。
実際、その後、福祉用具専門の業者さんと相談して、同型モデルを購入した。
購入後はレンタル契約を終了したけれど、「このモデルでよかった」という確信があったから、まったく迷わなかった。
あの日、何もわからず勢いで買わなくて、本当に良かった。
時間をかけて“合うもの”を見つけられたからこそ、後悔のない選択ができた。
それでも購入を焦らないために

「失敗したくない」と思えば思うほど、人は焦ってしまう。だからこそ、焦らなくていい方法をひとつでも多く知っておきたかった。
“試す”ことに意味がある
介護用品って、ほとんどが高価だ。そして大きい。
家に入れたら簡単には動かせないし、失敗しても返品が難しい。
だからこそ、「買う前に使ってみる」ことが、いちばんの安心材料になる。
合うかどうかは、実際に生活に組み込んでみないと分からない。本人の体調や性格、家の構造、介助する側の体力……それぞれの家庭で条件が違うからこそ、“試す余地”はとても大切だと思う。
レンタルという仕組みは、選ぶためのステップであって、妥協ではない。
むしろ、それは「納得のいく選択をするための賢い手段」なのだと、今ならはっきり言える。
“選ぶ”ことをあきらめなくていい
介護が始まると、どうしても「やるしかない」ことが増えていく。
その中で、たったひとつでも「自分で選べた」と思えることがあると、気持ちの持ち方が変わる。
私はこのベッドを、最終的には購入した。だけどそれは、最初から買うつもりだったわけじゃない。
「使ってみて、良かったから決めた」――そのプロセスが、自分にも母にも納得のいくものであったからこそ、結果に満足できた。
誰かに「これがいいよ」と言われたからじゃない。
“自分たちに合うかどうか”を、しっかり確かめる時間を持てたことが、何よりの財産だった。
まとめ
電動介護ベッド――聞いたことはあっても、実際に使う日が来るなんて、かつての私は想像していませんでした。
ましてや、介護用品を“買うかどうか”でこんなにも迷うことになるとは。
でも、迷ってよかった。すぐに買わず、まず「借りる」という選択肢を知れたから。
そして、制度を使ってレンタルし、実際に母と私の暮らしに合うかを確かめる時間を持てたこと。それが、のちの安心と納得につながりました。
もし今、電動ベッドの導入を考えている方がいたら、私は「焦らないで」と伝えたいです。
制度を知ること、試すこと、相談すること――どれも“遠回り”のようでいて、確かな一歩になります。
介護は、思いどおりにいかないことの連続です。
だからこそ、自分たちに合った方法を選びとる力が必要です。
あのとき、買わずに試してよかった。
そう思える経験が、今の私たちの支えになっています。

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