母の認知症と介護の始まりに気づいた瞬間

“いずれは来るかもしれない”って思ってたけど、まさか「今」だなんて、思ってなかった。
認知症のサインに最初に気づいた日常の違和感
風が強い日だった。電線がうなり、軒先の風鈴がやけに鋭い音を立てていた。
私は実家の玄関の引き戸を開け、「ただいま」と声をかけた。けれど、返事はなかった。
台所に入ると、母が冷蔵庫の前に立っていた。
中は開けっぱなしで、冷気が音もなく部屋に漏れている。母はその冷気の中でじっとしていた。
何かを探す様子だったけれど、視線がどこか宙をさまよっていた。
「……醤油、どこやったっけ?」
ぽつりとつぶやく母に、私は少し笑って「冷蔵庫のドアのとこじゃない?」と返した。
けれど母は、冷蔵庫のドアポケットを何度も見直していた。
3回、4回、5回……まるでそこに醤油があることを、確かめることができないように。
その姿に、胸の奥がひゅっと冷たくなるのを感じた。
でも私は、「疲れてるのかな」「最近、物忘れが多いって言ってたし」と自分に言い聞かせた。
少し違和感があったけれど、それを深く掘り下げるのが、どこか怖かったのかもしれない。
要介護認定と介護生活のスタートを受け入れた日
数週間後、父から電話がかかってきた。
「お前、ちょっとこっち来れないか。最近、母さんの様子が変なんだ」
その声には、いつもの厳しさも堅さもなかった。代わりに、何かを探すような不安がにじんでいた。
私はスケジュール帳を閉じて、スマホを持ったまましばらくじっとしていた。
病院の診察室で、母は笑っていた。「なんだか、大げさね」って。
待合室のソファに並んで座りながら、私はうまく笑い返せなかった。
医師から伝えられた検査結果の説明を、母はどこか他人事のように聞いていた。
数日後、役所から届いた通知に「要介護2」と書かれていた。
折りたたまれた書類を開いたとき、その小さな文字の列が、妙に冷たくて現実的で、
「ああ、もう戻れないんだな」と、どこかで腹をくくった。
その夜、家に戻っても、リビングのテレビはいつも通りだった。
夫が息子とじゃれ合って笑っていて、その光景だけがやけに遠くに感じた。
私はひとり、届いた書類をカバンにしまったまま、夕飯の湯気をぼんやりと見ていた。
“介護”という言葉は、まだ口に出すには重すぎた。
でも、あの夜、私は確かに思っていた。
「私が“その人”になるんだ」と。
それが、すべての始まりだった。
介護と仕事の両立が始まり、働き方が少しずつ変わっていった

仕事と介護、どっちもちゃんとやろうとするほど、自分の時間がどんどん遠くなる気がする。
ちょうど生活リズムを取り戻しかけていた頃
転職して半年。新しい職場の営業アシスタントの仕事にも慣れ、ようやく気持ちにも余裕が出てきた頃だった。
週4日は出社、週1は在宅勤務。始業時間も30分遅らせてもらっていて、通勤ラッシュを避けられるのは本当に助かっていた。
息子は高校生になり、夫も協力的。少し前までは自分の時間なんてまったくなかったけれど、ようやく「家族のため」以外の時間を持てるようになった気がしていた。
それだけに、母の介護が始まったとき――「また戻ってきたのか」と、どこか心の奥で思ってしまった。
始まりは“少しのこと”だったのに
最初は、通院の付き添いや、デイサービスの申し込み、薬の管理だけだった。
「このくらいなら、なんとかなる」と思っていたし、むしろ家族として当たり前のことだと思っていた。
けれど、それだけでも日常の“余白”はじわじわと削られていった。
「午後から母の受診があって……」
「早退してもいいですか?」
そんな言葉を職場で口にするたび、ほんの少し、自分が“例外の存在”になっていくような気がした。
もちろん、職場の人たちは理解があるし、協力もしてくれる。けれど、申し訳なさや負い目はどうしても消えなかった。
“自分の時間”がまた遠のいていく感覚
介護は、仕事のあとにそっと差し込めば済むようなものじゃなかった。
仕事の合間を縫って対応するには、あまりにも不確定で、予想できないことが多すぎた。
スケジュールを詰めるほどに、日々がこぼれていく。
タスクをこなすたびに、生活がすり減っていく。
「できてはいるけれど、保てていない」――そんな状態が、いつのまにか当たり前になっていった。
あのとき感じていた「やっと自分の時間が持てるようになった」という小さな達成感は、静かに、でも確実に後ろへ押し戻されていった。
実家との往復で始まった“もうひとつの仕事”

誰に頼まれたわけでもないのに、気づけば“やる人”になっていたのは、私だった。
退勤後すぐ、介護モードに切り替わる日々
定時で仕事を終えると、私はすぐに駅へ向かって歩き出す。
電車に揺られ、最寄りの駅で自転車に乗り換え、実家に着くころには18時を過ぎている。
玄関の電気はついているのに、リビングは真っ暗なまま。
カーテンも閉められておらず、テレビの音も聞こえない。そんな静かな部屋に入るたび、胸が少しだけきゅっとなる。
こたつの中で、母がうたた寝していた。
「ごはん、まだ食べてないの?」と声をかけると、母はぼんやりとした目で「今日、お昼食べたわよ」と答えた。
でも、キッチンに行くと、電子レンジに入ったままの弁当と、手つかずの箸袋がそのままになっている。
静かな台所と、増えていく“気づけばやってること”
私は黙って、夕食の支度を始める。冷蔵庫にあるものを温め直し、母に声をかけながら食事を並べる。
そのあとは洗濯物を取り込み、ゴミの分別、明日のデイサービスの準備、薬の仕分け。
気づけば、やるべきことがいくつも積み重なっている。
誰かに頼まれたわけじゃない。
でも、「やらなきゃ」と思う気持ちが、私を動かしている。
全部終えて、実家を出るころには夜の風が冷たく頬を刺していた。
自転車をこぎながら、「今日の自分、何をやっていたんだろう」と、ふと我に返る。
誰にも見えない“仕事のあとにあるもうひとつの現場”
家に帰れば、次は“自分の家族”の夕食が待っている。
夫が簡単に済ませてくれていることもあるけれど、温かい汁物のひとつでも作り直してやりたいと思う自分がいる。
その頃にはもう、時計は21時を回っている。
職場では「家庭と両立していてすごいですね」と言われることもある。
けれど、それは「家庭=子育て」と思われているような気がする瞬間もある。
私が日々向き合っているのは、“高齢の親との生活の擦り合わせ”だ。
感情のやりとりも、準備のひとつひとつも、言葉にしきれないほど繊細で、それでいて地味で地道なものばかり。
それでも私は、毎日この“もうひとつの仕事”に、静かに通っている。
誰に気づかれなくても、誰に評価されなくても――母の暮らしと自分の暮らしを、どうにか同じ線上に置こうとしながら。
介護と仕事の両立で、「辞めた方が楽かも」と思った日

もう全部手放したら楽かもしれない。でも、それを選んだら、自分が自分じゃなくなりそうで。
がんばっているはずなのに、心がすり減っていく
「介護してるの?すごいね、偉いね」
そう言われるたびに、なぜか苦しくなった。
すごくなんかない。ただ、やらなきゃいけないことをやっているだけ。選んだというより、気づいたらやっていた。そういう毎日だった。
母にきつく当たってしまうこともあった。
「もう、何回同じこと言わせるの?」
言った瞬間、ハッとして、自分を責めた。母は悪くない。なのに、私は母に向かって怒ってしまう。
そのたびに、自己嫌悪の波が夜中にやってくる。
布団に入っても眠れず、スマホの画面を何度もスワイプする夜。ため息ばかりが増えていった。
「私、ちゃんとできてるのかな」「今日も母に笑ってもらえなかったな」
誰に答えを求めるでもなく、問いだけが胸の中で繰り返されていた。
「辞めたら楽かも」と思ったけど、それは逃げじゃないかと思った
ある日、職場の会議中に母から着信が入っていた。
慌てて出ると、「冷蔵庫のドアが開かない」と言っている。
すぐには向かえず、昼休みにようやく実家へ行くと、ただ中の瓶が引っかかっていただけだった。
何もなかったことに、ほっとする反面、疲労感が押し寄せた。
「もう、こんなふうに気を張り続けるの、限界かも」
そう思った。
「辞めた方が、楽になるかもしれない」
この考えが頭に浮かんだのは、一度や二度じゃない。
介護と仕事を両立するのは、思っていたよりずっと孤独で、終わりが見えなかった。
でも、辞めることを考えるたびに、どこかで自分にブレーキをかけていた。
「仕事を辞める=全部諦める」みたいな感覚があった。
自分がいろんな役割の中で、かろうじて「自分」でいられるのが、たぶん職場だったから。
踏みとどまったのは、「働くこと」が自分の支えだったから
ある日、社内チャットで「いろはなさん、あの資料すごく助かりました」とメッセージが届いた。
ほんの小さなやりとり。でも、そのひと言で、私はまた翌日もがんばれた。
誰かに感謝されること。
名前を呼ばれて、必要とされること。
それが、家の中ではあまり感じられなくなっていたからこそ、外の世界でのその一言が、心に沁みた。
介護をしていても、仕事をしていても、母親であっても。
私は、私でいたい。
それが、辞めずに働き続ける理由だったのかもしれない。
働くことで「私」でいられる時間が支えになった

会社では、“誰かのため”じゃなくて、“私自身”として認められる。それが、私の救い。
会社では“介護者”じゃなく、ひとりの自分でいられた
会社にいるとき、私は「介護をしている人」ではなかった。
誰かの娘でもなければ、母親でもない。
ただの“いろはなさん”として、「お願いします」と頼られて、「ありがとう」と感謝される。
そのことが、どれだけ私の支えになっていたか、言葉にするのは難しい。
ほんの5分、書類を探して渡しただけ。
たったそれだけでも、「助かりました!」と声をかけられると、私の心の中で何かが動く。
「ああ、私、今ちゃんと役に立てた」
そんな実感が、どれほど大事なことかを、介護をするようになって初めて知った。
家では「やって当たり前」のことがほとんどだった。
でも、職場では“当たり前じゃないこと”として、ちゃんと誰かに届く。
その差が、私を何度も立ち直らせてくれた。
同僚の気づかいが、言葉よりも心に響いた日
ある日、昼休みに後輩の子がそっと声をかけてきた。
「最近、お疲れですか?」
私は一瞬戸惑って、それでも笑ってごまかした。
「実は、母がちょっと体調崩してて……」
そう言ったら、彼女は「そうなんですね」とだけ返して、それ以上は何も聞かなかった。
そのやさしさが、うれしかった。
説明しなくてもいい。根掘り葉掘り聞かれなくていい。
ただ、“それが今の自分なんだ”と認めてもらえた気がした。
気づいてもらえたこと。気を遣いすぎずにいてくれたこと。
そのバランスが、心にちょうどよかった。
働くことは、誰かのためじゃなく、私自身のためだった
誰かに役立っていたいわけじゃない。
誰かのために生きたいわけでもない。
でも、「私はここにいていい」と思える場所が、外にあることで、なんとか持ちこたえていられる。
働くことは、生きていくための手段だけじゃなくて、私にとって“存在の確認”だった。
母の介護をしていることも、家族を守っていることも、誰に言わなくてもちゃんと誇れるけれど、
それでも、「私個人」として扱われる時間がなければ、私はきっと折れていた。
介護の合間に見るパソコンの画面も、
何気ないSlackのやり取りも、
「今日の昼何食べようか」という雑談も、
私にとっては、ささやかな救いだった。
「はたらきながら介護」は、私だけじゃないと知った日

私だけじゃない――そう思えただけで、ほんの少し、肩の力が抜けた。
誰にも言えなかったけど、孤独だったのは私だけじゃなかった
介護と仕事のことを、口に出して話すのはむずかしかった。
職場の人に言えば、気を遣わせてしまうかもしれない。
家族に言えば、「やりすぎなんじゃないか」と思われるかもしれない。
そんなふうに考えて、結局、誰にも言えなかった。
だけど、ふとSNSで「#ビジネスケアラー」という言葉を見つけたとき、胸がざわっとした。
“ビジネス”と“介護”――どちらも今の自分を表している言葉なのに、こんなふうに並べられた言葉を、私はそれまで知らなかった。
タグを辿って投稿を読んでいくうちに、「これ、私のことだ」と思うような言葉に何度も出会った。
夜の駅のベンチで泣いた人。
上司のひと言に救われた人。
親に当たってしまって、自分を責めた人。
どれもが、自分と重なって見えた。
「誰にも言えない」と思っていたけれど、
「誰にも言ってないだけだった」と気づいた。
この場所は、「私もそうだったよ」と言うためにある
私は、誰かを救いたいわけじゃない。
「こうすればうまくいきますよ」と、アドバイスできるほど立派でもない。
だけど、「私もそうだったよ」と言うことはできる。
うまくいかなかった日、涙が止まらなかった夜、それでも次の日に職場に行ったこと。
母に当たってしまった後、コンビニで買ったプリンをそっと差し出したこと。
そんな小さな、でも確かだった私の毎日を、ここに書いていこうと思った。
介護と仕事の両立は、簡単じゃない。
でも、それを「ひとりでやっている」と思い込んでしまうことが、いちばんしんどい。
この場所が、「それ、わかるよ」と言ってもらえる場所になればいい。
誰かの“今”と重なる場所になれば、それだけで十分だ。
ここで書くことは、過去の記録じゃない。
今まさに揺れている「今日」の記録だ。
だから、きっと誰かに届くと信じている。
まとめ
母の違和感に気づいたあの日から、私の生活は少しずつ変わっていきました。
介護と仕事を両立することが、こんなにも生活のあらゆる面に影響するとは思っていなかったし、
「できているようで、保てていない」感覚に、何度も押しつぶされそうになりました。
通勤途中の電車の中、職場の昼休み、帰り道の夜道。
ふと「もう無理かも」と思った瞬間もあったし、
心のどこかで「辞めてしまえば」とささやく自分がいたのも確かです。
でも、働くことが私を支えてくれたのも事実でした。
外の世界に“いろはな”としての居場所があったから、
家庭と介護のなかでも、なんとか自分を見失わずにいられた。
SNSで「#ビジネスケアラー」という言葉に出会い、「私だけじゃない」と思えたこと。
その安心感が、私の視野を少しだけ広げてくれた気がします。
介護と仕事を両立する日々は、今も続いています。
うまくいかない日もあるし、心がすり減る夜もあります。
でも、こうして言葉にすることで、自分の気持ちを少しずつ整理できる気がしています。
この場所が、誰かにとって「自分の気持ちを置ける場所」になりますように。
そして、今これを読んでいるあなたの中にも、ひとつでも「わかる」と思える瞬間があれば、
それだけで、私は今日もまた頑張れます。

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