※今回のインタビューは、クラウドワークスで実際に介護と仕事を両立している方からお話を伺い、構成したものです。

親の介護が始まっても、会社では何も言えなかった僕の理由

働くケアラーたちの声
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働くケアラー・安田さんに聞きました

いろはな
いろはな

安田さん、今日はお時間ありがとうございます。お母さまの介護を始めたのは、いつ頃からだったんでしょうか?

安田さん
安田さん

いえ、こちらこそ。ちょうど1年前ですね。母が突然、家で倒れたのがきっかけでした。

いろはな
いろはな

突然のことだったんですね…。そのとき、すぐに「介護をすることになる」とは思っていなかったんじゃないですか?

安田さん
安田さん

はい、正直“介護”という意識はまったく無くて。ただ、倒れたって聞いて「俺が動かないと」と思って、気づいたら全部やってました。

安田さんのプロフィール
  • 年齢・性別
    37歳・男性
    神奈川県川崎市で一人暮らしをする独身男性。
  • 仕事
    中堅SIer勤務・SE
    正社員として働くITエンジニア。リモートと出社を使い分けて勤務。
  • 介護
    千葉県の母を遠距離介護
    母(68歳・要介護1・脳梗塞の後遺症あり)を週末に訪問介護。平日は電話やLINEで見守る。
  • 家族構成
    母と二人家族
    父は他界。兄弟姉妹はおらず、母ひとり子ひとり。
  • 介護歴
    1年
    突然の発症から始まり、生活全般の支援を一人で担うように。

母の倒れた知らせで、すべてが変わった

母が倒れたのは、土曜日の昼間。近所の方が気づいて救急車を呼んでくれて、病院から安田さんに連絡が入った。軽度の脳梗塞で、命に別状はなかったが、右手と足に軽い麻痺が残った。

実家は千葉県柏市。安田さんは神奈川県の川崎で一人暮らしをしていたため、病院に駆けつけるのも一苦労だったという。

「自分が一人っ子だということを、あのときほど強く感じたことはない」と安田さんは振り返る。

“俺しかいない”という感覚が、すべての始まりだった

兄弟姉妹もおらず、親戚も遠方。「じゃあ自分が動くしかない」と自然に思っていたというが、それが長期的な介護のスタート地点だった。

入院中の手続きや、主治医との面談、リハビリ病院の選定、退院後の生活設計まで、あっという間に“介護者”としての役割を担っていた。

「誰かに相談する余裕も、そもそも“相談する”という発想もなかったんです」と語る安田さんの目は、どこか遠くを見つめていた。

倒れてすぐの1ヶ月、“何も知らない”が一番怖かった

いろはな
いろはな

お母さまの退院までは、どんな風に過ごしていたんですか? 病院からのサポートはありましたか?

安田さん
安田さん

うーん、医師はリハビリ病院を紹介してくれたんですけど、「退院後の生活」までは誰も教えてくれなかったですね。手探りでした。

いろはな
いろはな

調べてもよくわからないし、制度も複雑ですものね…。どこで情報を集めていたんですか?

安田さん
安田さん

最初はとにかくGoogle検索でした。あと、病院のソーシャルワーカーさんに何度も食い下がって聞きました。

「このまま一人で抱えるのか」と絶望した夜

退院までの1ヶ月間、安田さんは会社を休みながら、千葉の病院に通い詰めていた。支援制度や介護保険の情報を集めても、どれが自分の母に当てはまるのか、どう動けばいいのか分からない。調べれば調べるほど専門用語にぶつかり、余計に混乱した。

最初の頃は、ケアマネジャーという職種の存在すら知らなかった。相談窓口に電話しても「まず地域包括支援センターへ」と言われ、そこがどこかも分からず、たらい回しにされたような気持ちになった。行政のページも見づらく、肝心の連絡先がどこに書いてあるかすら見つけにくかった。

「こんなに疲れてるのに、相談できる人もいない」と感じた夜、涙が止まらなかったという。友人に話しても、同じ状況の人がいないため、どう反応していいのか分からない様子だった。職場の同僚には言い出せず、休む理由を「体調不良」とごまかしていた。

“知らない”が一番の不安材料だった

一番つらかったのは、“自分の選択が間違っているのではないか”という不安。母のためと思って動いたことも、本当に良かったのか確信が持てず、自己否定に近い感覚に陥っていった。医療従事者からの言葉ひとつで気持ちが救われることもあれば、逆に些細なひと言で深く落ち込むこともあった。

何が正解かも分からず、誰にも教えてもらえない。調べる体力すらないのに、決断を迫られる。『知らない』という状態が、想像以上に精神的な負荷になっていたという。情報の不足が恐怖に直結しているのを、日を追うごとに感じた。

「どんな制度があるか知っていれば、もっと落ち着けたのに」と安田さんは言う。今なら、地域包括支援センターや介護保険窓口に最初から行くべきだったと分かるが、当時はそこにたどり着く気力もなかった。経験者に話を聞ける機会があれば、こんなに苦しまなくて済んだのにと悔しさを滲ませた。

この1ヶ月で、情報を持っているかどうかが、ケアラーにとってどれだけ重要かを痛感した。何を知らないかも分からないまま孤独に突き進む日々。情報と気持ちの整理、そして自分自身のケアも、誰かに手を引いてもらえるだけで全然違っていたはずだと語る。

「ひとりっ子の介護」は、想像よりずっと孤独だった

いろはな
いろはな

介護をする上で、ひとりっ子であることはどんな影響がありましたか?

安田さん
安田さん

本当に孤独でした。相談する相手がいない、分担する相手もいない。その事実が、後からどんどん効いてくるんですよね。

いろはな
いろはな

決断もひとり、というのはかなりの負担ですよね…。

安田さん
安田さん

誰にも「どう思う?」って聞けないのが、一番きつかったかもしれません。間違えられないというプレッシャーが常にありました。

“相談できる人がいない”という重圧

安田さんは一人っ子。兄弟姉妹も親戚も近くにおらず、父はすでに他界している。母の介護について相談できる人がいないという現実に、想像以上のプレッシャーを感じていたという。誰かに「どう思う?」と尋ねたくても、その「誰か」がいない。孤立感は日を追うごとに濃くなっていった。

「誰かと分担できれば、もう少し気が楽だったと思う」と安田さんは振り返る。どの施設を選ぶか、どこまで在宅で頑張るか、経済的な判断も含め、すべて自分で背負わなければいけない。その重さに、何度も心が折れそうになった。間違った選択をしたらどうしよう、後悔させたくない──そんな思いが、いつも胸の奥に引っかかっていた。

“自由”と“責任”の間で揺れる

母の意向と、自分の限界のはざまで悩み続ける日々。施設に入れることを「親不孝」と言われるのではないかという不安もあり、自分の気持ちに蓋をしていた部分もある。母が昔、近所の人の介護の話をして「最後まで家で見てあげたいものよね」と言っていた言葉が、今も心に残っている。

ひとりっ子という立場は、周囲からは“自由に決められる立場”と思われがちだが、実際には「責任をひとりで背負うこと」の意味でもある。自分が倒れたら、すべてが止まってしまう。その危機感が、常に頭の片隅にあったという。仕事と介護のはざまで、精神的にも肉体的にも、綱渡りのような日々だった。

頼れる人がいないからこそ、間違えられないというプレッシャーがある。気軽に「どうしようか」と相談できる兄弟がいれば、どれほど救われただろう──そんな思いが何度も頭をよぎったという。自分の判断に自信が持てず、何度もネット掲示板や介護経験者のブログを読み漁った。

「正解なんてないって分かってるんです。でも、誰かに“あなたは間違ってない”って言ってほしかった」。安田さんの声は、少し震えていた。自分を責める気持ちと、母を思う気持ちが交錯する中で、孤独を超えていくには、相当なエネルギーが必要だったと語る。

「会社に知られたら終わりだ」と思っていた

いろはな
いろはな

会社の方には、すぐに介護のことを伝えましたか?

安田さん
安田さん

いえ、最初の1〜2ヶ月は誰にも言えませんでした。言ったら終わりだと思っていたので。

いろはな
いろはな

「終わり」というのは……?

安田さん
安田さん

介護があるから任せられない、って思われたら、それでもうおしまいだなって。

職場で隠し続けた“二重生活”

安田さんは、介護が始まってしばらくの間、職場には一切知らせなかった。周囲に知られたら「仕事を任せてもらえなくなる」「管理職として頼りないと思われる」と考えていた。昇進や評価に直結する立場にいる限り、隙は見せられないという気持ちが強かった。

「ちょうど大きなプロジェクトが動いていて、外せない会議も多かった。そんなときに“母が倒れた”なんて言ったら、どうなるかって……」。そう語る安田さんは、誰にも相談できないまま、表向きはいつも通りに振る舞っていた。だが内心では、毎日ギリギリの精神状態で働いていた。

職場で笑顔を作り、部下を支え、成果を出しながらも、スマートフォンの通知には常に神経を尖らせていた。昼休みには病室に電話し、母の様子を確認。異変がないことに安堵し、再び業務に戻る──そんな日々が続いた。

「電話が鳴るたびに心臓がギュッとなる」──その緊張は通勤中も、仕事中も続いた。気が抜ける時間が一切なく、睡眠を取っても疲れがまったく取れなかったという。

“知られたくない”という防衛本能

上司や同僚のちょっとしたひと言にも、敏感になっていった。「最近、ちょっと元気ない?」──その言葉に、“気づかれたかもしれない”という焦りがよぎる。「大丈夫です」と笑顔で返すことが、自分を守るための唯一の方法だった。

会社では“何も起きていない顔”をして、家では病院との連絡や夜間の対応。まるで2つの世界を生きるような感覚だった。疲れ果てて帰宅し、洗面台の鏡に映った自分を見て、ふと「誰だろう」と思ったこともあるという。

「誰にも言えない、誰も知らない」──そんな密室のような日々を、安田さんは静かに過ごしていた。誰かに話せば、少しは気が軽くなるかもしれない。でも、「話せばすべてが壊れてしまう気がした」。その恐れが、口をつぐませていた。

「言葉にするのが、怖かったんです」。そう語った安田さんの声には、あの頃の不安と孤独が、まだ少し残っていた。

まとめ

「誰にも言えなかった」──安田さんのそのひと言が、何度も胸に響きました。

ひとりっ子としての責任、管理職としての立場。どちらも中途半端にはできない。そのあいだに立ち尽くしながら、日常をひとつずつ積み上げてきた姿が、印象に残ります。

介護のことを話せば、評価が下がるかもしれない。職場の信頼を失うかもしれない。そう思ってしまう環境は、決して個人のせいではないはずです。でも、安田さんは声を上げずに、静かに踏ん張り続けました。

「言葉にするのが怖かった」と言ったその姿に、同じような立場の方々が自分を重ねるかもしれません。黙って背負っている人ほど、周りには見えにくいものです。

働くことも、家族を想うことも、どちらも本気だからこそ、折り合いのつけ方に苦しむ。そのリアルな一歩一歩が、このインタビューには詰まっていました。

この物語が、今誰かのそばで静かに灯る光になりますように。安田さん、本当にありがとうございました。

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