※今回のインタビューは、クラウドワークスで実際に介護と仕事を両立している方からお話を伺い、構成したものです。

東京⇔地方を往復する33歳人事が抱えた遠距離介護の孤独と見つけた「私を守る約束」

働くケアラーたちの声
働くケアラーたちの声
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働くケアラー・佐藤さんに伺いました

いろはな
いろはな

佐藤さん、入社4年目で、遠方のご実家の介護を任されることになったとお聞きしました。その最初の数日は、どのように感じていらっしゃったのですか?

佐藤さん
佐藤さん

最初の3日間は、まるで現実を受け止めきれずにいました。人事として業務に追われる毎日が、夜中に介護サービスの資料を読み解く日々へと一変し、混乱と戸惑いでいっぱいでした。

いろはな
いろはな

普段は東京本社の人事部でフルタイム勤務とのことですが、ご実家は電車で片道1.5時間もかかるそうですね。そのプレッシャーは相当なものだったのではありませんか?

佐藤さん
佐藤さん

はい。電車に揺られる間、「本当にこのまま両立できるのだろうか」という不安が頭を離れず、目の前がぼやけることもありました。

初めての混乱と緊張

33歳の佐藤さんは、大手製造業の東京本社で人事業務に従事し、採用面接や労務関連の調整を担当していた。日々の残業も珍しくなく、キャリアを順当に築きつつあった。

しかし、ある日の夜、実家の母親から届いた「父が倒れた」という緊急連絡を受け、明け方の新幹線に飛び乗った。病院で診断されたのは要介護2の脳梗塞後遺症。半身麻痺の父を前に、自分が何をすべきか分からず、ただ呆然と立ち尽くした。

その翌日から、東京と実家を行き来する生活が始まった。平日は出社しつつ、昼休みや終業後に介護サービスの手配を考え、夜行バスで深夜に実家へ戻る。週末は父の入浴介助や服薬管理、ケアマネとの面談などに追われ、日曜深夜には再びバスで東京へ戻る。
「仕事のプレッシャー」と「父への不安」が交錯し、頭が休まる時間は皆無だった。

言葉にできない孤独感

オフィスでは、いつもの調子で同僚と雑談しつつ業務をこなすが、心の中では父の状態が常に渦巻く。「職場に介護を話したらどう思われるか」「自分が休んだら会社は回るのか」という恐れから、上司にも同僚にも打ち明けられないままだった。

金曜日の夜、東京駅のホームで改札を抜け、スマホ画面に映る次のバスの発車時刻を何度も確認する。「もし父の容体が悪くなったら間に合わないかもしれない」という思いが何度もよぎり、胸が締めつけられた。

そんな中、半ば自分を納得させるように「とにかく頑張ろう」と自らを鼓舞し続けたが、言葉にできない孤独感は徐々に心と体をすり減らしていったのである。

佐藤さんのプロフィール
  • 年齢・性別
    33歳・男性
    大手製造業・東京本社の人事部に勤務。入社4年目の春に介護が始まりました。
  • 仕事
    人事部(正社員)
    採用面接と労務調整を担当。残業・出張もあるが、職場には介護事情を打ち明けていない。
  • 介護
    父の介護(要介護2)
    脳梗塞後遺症で半身麻痺の父を在宅で支援。平日は訪問ヘルパー、週末は本人が実家に戻ってケア。
  • 家族構成
    父・母との三人家族
    ひとりっ子。母は家事を担うが重介助は難しく、佐藤さんが主な介護者。
  • 介護歴
    1年
    遠距離(片道1時間半)での介護とフルタイム勤務を両立中。制度と働き方の最適解を模索している。

倒れてからの最初の1ヶ月、情報の渦に溺れそうに

いろはな
いろはな

佐藤さん、父上が倒れてから最初の一ヶ月、特に苦労されたのはどの手続きだったのでしょうか?

佐藤さん
佐藤さん

要介護認定申請書を手にしたときです。書類には「要支援」「認定調査」「ケアプラン」など見慣れない専門用語がびっしり並び、どこから手をつけていいか全くわかりませんでした。

いろはな
いろはな

きちんと相談できる相手が近くにいなかったのですね。

佐藤さん
佐藤さん

はい。ケアマネージャーからは細かい説明を受けましたが、夜遅くまで仕事があるために理解が追いつかず、一度に覚えきれなかったのです。

見えない知識の壁

父の倒れた翌週、ケアマネージャーと初めて対面した。リビングで並べられた申請書を前に、「ここに父の現状を書いてください」と指示されたが、文字を見ただけで手が震え、どう記入すればいいのか判断がつかない。

仕事では人事の細かな数字管理や労務トラブルの対応に追われ、昼休みや休憩時間にスマホで「要介護 認定書 書き方」「在宅介護 ヘルパー 使い方」など検索した。だが、画面に表示されるのは一般論や古い情報ばかりで、自分の状況に当てはまらない。

夜になると疲れ切った身体で資料を広げては閉じ、閉じては広げる。
「このままでは父に必要なサービスが届かないのでは」「本来お願いすべきは家族なのに、俺がうまくやらないといけないのか」
不安と焦燥で、眠れない夜が続いた。

オンラインの先輩がくれた具体的な道しるべ

そんな折、SNSの介護支援グループを覗いてみた。
「遠距離 介護 要介護2 書類」などのキーワードで検索すると、同じ境遇の人たちの投稿が次々と出てきた。

あるメンバーはこう書いていた。
「自治体によって提出する添付書類が違うので、〇〇市の場合はこの付箋を貼って窓口に行くとスムーズです」
別の投稿では「ケアマネ面談では、『日常生活の支援状況』を具体的に伝えると、認定が早く通ります」といった体験談が寄せられていた。

佐藤さんは翌朝、そのアドバイスをメモしてケアマネ面談に臨み、驚くほどスムーズに話が進んだ。
結果的に申請から2週間で要介護2と正式に認定され、ヘルパー利用が開始された瞬間、「情報の力を甘く見てはいけない」と痛感した。

ひとりで抱えた限界、“助け”が届いた瞬間

いろはな
いろはな

佐藤さん、申請が済んだ後も無理を続けていたかと思いますが、「もう限界だ」と思った瞬間はいつでしたか?

佐藤さん
佐藤さん

東京へ戻る新幹線の中で、ガタンゴトンと揺れる座席で突然、目の奥が熱くなり、涙が止まらなくなったときです。
「もう耐えきれない」と心の中で叫びました。

いろはな
いろはな

そんなとき、誰かが救いの手を差し伸べてくれたのですね?

佐藤さん
佐藤さん

偶然、同じ車両にいた大学時代の同期・田中くんから「最近、顔色がよくないけど大丈夫か?」とLINEが届いたんです。その一言に心が救われました。

気づかぬうちに積もった疲労

介護と仕事を両立する生活は、想像以上に過酷だった。
朝は父の服薬準備を終え、7時の新幹線で東京へ。オフィスでは採用候補者のスケジュール調整や労務トラブル対応に奔走し、昼休みはケアマネからの報告メールを確認。
夜は再び新幹線と夜行バスを乗り継ぎ実家へ戻り、父の入浴介助や配膳、排泄のサポートを行う。
その繰り返しで、身体は動いても心は限界を迎え、ふとした瞬間に涙があふれた。

仕事中も頭痛やめまいを感じることが増え、「このままでは倒れてしまう」と感じる場面が何度もあった。

同期の一言が開いた心の扉

帰路で田中くんの「大丈夫か?」という一文を見た瞬間、これまで必死に押し込めてきた感情が一気に溢れ出した。
「正直、もう限界だ」と返信すると、すぐに電話がかかってきた。
田中くんはただ黙って話を聞き、「一人で抱え込む必要はないよ」と何度も繰り返してくれた。

居酒屋で顔を合わせたあの日、佐藤さんは涙ながらに全てを吐き出した。
「父のケア、仕事の締め切り、誰にも相談できない孤独」
田中くんは一言も遮らず頷き、「どんな些細なことでも、声をかけてくれ」と背中を押してくれた。
そのとき初めて、「話してもいいんだ」という実感が心に芽生えた。

職場に言えずとも、そっと寄り添うサポート

いろはな
いろはな

佐藤さん、職場ではご自身の介護事情を話していないとのことですが、配慮を感じた瞬間はありましたか?

佐藤さん
佐藤さん

はい。ある金曜の午後、田島部長がわざわざデスクまで来て「今日は早く帰っていいから」とだけ言ってくれたんです。その一言で肩の荷が一気に下りた気がしました。

いろはな
いろはな

具体的にどのように感じましたか?

佐藤さん
佐藤さん

「理由を聞かない」という選択が、私を救ってくれました。話さなくても気づいてくれる人がいる、という安心感は大きかったですね。

上司のさりげない気遣い

月末の報告書に追われて深夜まで残業していたとき、田島部長が「佐藤くん、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」と声をかけてくれた。
言葉自体は短いものだったが、そこには「無理しなくてもいい」という真意が込められていた。
その言葉を受け取り、「自分の状況を話せなくても、理解してくれる人がいる」ということを実感し、涙が込み上げた。

以来、チャットで「今日は18時に帰ります」とだけ送ると、「了解。お疲れさま」と返信してくれるようになり、心の支えとなった。

同僚からの温かなフォロー

ある日、授業担当向けの研修資料をまとめる最中に、広瀬さんがそっとディレクターを差し出し、「これ、私がコピーしておくから、先に行っていいよ」と声をかけてくれた。
その配慮に、「言わなくてもわかってくれる人がいる」という安心感が湧き、孤独感が薄れていくのを感じた。

別の同僚は「明日の面接は急ぎじゃないから、午後の案件処理を優先していいよ」とまで声をかけてくれた。
こうした小さな気遣いの積み重ねが、佐藤さんの心の余裕を取り戻す一助となっていった。

自分を守る“ライン”を見つけた日

いろはな
いろはな

佐藤さん、“自分を守るためのライン”を引こうと思った決定的な瞬間は、いつでしたか?

佐藤さん
佐藤さん

夜、帰宅して書類整理をしていたときに、ついに手が震えて書類が床に散らばった瞬間です。そのとき、「これ以上は無理だ」と全身で感じました。

いろはな
いろはな

そのときのお気持ちはどうでしたか?

佐藤さん
佐藤さん

「もうこれ以上、自分を犠牲にできない」と、身体が教えてくれた感覚でした。
涙で前が見えなくなり、心の奥で何かが大きく崩れたのを覚えています。

初めての“ノー”宣言

翌朝、眠い目をこすりながら出社前に上司・田島さんに短いメールを送信した。
「本日は定時で失礼いたします。ケアの都合でご容赦ください」

その瞬間、胸の奥に詰まっていた重たい石が静かに外れたように感じた。
返信は「了解、気をつけて帰って。何かあれば連絡を」とだけだったが、その一言が、大きな救いとなった。

初めて自分の限界を言葉にすることで、「自分を守るための第一歩を踏み出せた」と実感した。

小さな“自分時間”を確保するルール

その日から、佐藤さんは週に一度、必ず夜30分の“自分時間”を確保することを決めた。
火曜日の夜、父のケアを終えたらリビングの照明を落としてストレッチを行い、好きな小説を読む時間を持つ。
初めは「30分だけでも、自分に許しを与えるのは難しい」と感じたが、本を読み終えた後の心地よい疲労感に、「これがないと次に進めない」と思えるようになった。

さらに、「日曜夜21時には実家を出発する」というルールも作った。
以前は日曜深夜まで介護を続け、朝方バスで帰京することで月曜朝に体調を崩していた。
新しいルールを守るようになると、月曜朝には頭がすっきりし、仕事に集中できるようになった。

線を引くことで得た新たな強さ

佐藤さんは振り返る。
「無理を続けるのは簡単だが、本当の強さは自分を守る勇気を持つことにある」と。
“ノー”を言ったことで心に余裕が生まれ、仕事でもミスが減り、父との時間にも余裕ができた。

書類が散らかった夜があったからこそ、「自分を大切にする選択」は後悔ではなく、未来への糧だと実感できるようになった。
「自分の体調を優先することで、結果的に周囲にもいい影響を与えられる」という新しい信念を胸に、日々を歩んでいる。

まとめ

佐藤さんのお話から浮かび上がるのは、介護と仕事を同時に抱えるとき、
「知らないことへの恐怖」と「誰にも話せない孤独感」が最も重くのしかかるということです。
要介護認定の書類に戸惑い、遠距離介護のプレッシャーに押し潰されそうになったあの日々。
しかし、オンラインの先輩や同期の一言が、佐藤さんに「助けを求めてもいい」という小さな勇気を与えました。

また、職場でのさりげない配慮がもたらした安心感も見逃せません。
上司・田島さんの「今日は帰っていいよ」という言葉、同僚・広瀬さんの「資料はまとめておくよ」というフォロー。
言葉にせずとも、寄り添ってくれる人がいることが、佐藤さんの孤独を少しずつ溶かしていったのです。

そして何より、“自分を守るライン”を見つけることの大切さを強く感じました。
「定時退社を宣言する」「週に一度の自分時間を確保する」「日曜夜の帰京ルールを守る」――
小さな“ノー”を積み重ねることで、心の余裕と新たな強さを手に入れた佐藤さん。
「砂上の楼閣ではなく、自分の心を支える土台を作ること」が、介護も仕事も諦めないカギだと語ってくれました。

私・いろはなが皆さまにお伝えしたいのは、次の2点です。
1. 「助けを求めることは決して弱さではない」:声をかけることで、自分が抱える重荷が軽くなることがあります。
2. 「自分を守るラインを自分で引く」:無理を続けず、心身の健康を最優先に考えることで、両立は可能になります。

もしこの記事を読んでいる方が、介護と仕事のはざまで苦しんでいるなら、まずは誰かに「話す」ことから始めてみてください。
そして、「今日は帰る」「自分時間をつくる」といった小さなルールを自分に与えてみてください。
その先には、仕事も介護も諦めない、あなたらしい両立のかたちが必ず見つかるはずです。

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