働くケアラー・杉本さんに伺いました

杉本さん、部長職の真っただ中で同居介護が始まったと伺いました。最初の一週間、率直にどんな気持ちでしたか?

朝は役員報告、夜は徘徊センサー。「私の24時間は誰のもの?」と、自分の存在が薄まる感覚でした。

部下の前では動揺を見せられないですよね。その葛藤はどう乗り切りましたか?

議事録を書きながら母の好きな昭和歌謡をイヤホンで流しました。「ここが終われば帰って一緒に歌える」と思うと、役割の切り替えスイッチになるんです。
深夜の報告書と鳴り続けるセンサーの警告音
55歳、女性部長。社内では「ロジカルで隙がない人」と評される杉本さんだが、その春から生活サイクルは一変した。
23時、事業計画の Excel を閉じた瞬間、スマートウォッチが母の転倒アラートを震わせる。
タクシーで帰宅し、玄関にしゃがみ込む母を抱えた後、再び PC を開く――そんな“振り子”のような日々が始まった。
デイサービスの契約書、心不全の薬歴、議事録。
書類の山は種類こそ違えど同じ A4 サイズ。
「仕事と介護、どちらが優先か」と自問しながら紙をめくる深夜、唯一の救いは母と聴く淡谷のり子のカセットだった。
「部長失格かもしれない」と揺れた心
翌週の全社キックオフ。壇上でプレゼンしながら、頭の片隅では
「今日は母の心拍が安定しているだろうか」
という不安が鳴り続ける。
質疑応答を終えた後、控室で初めて汗ばんだ手の震えに気づき
「瞬間的に二つの世界を渡る負荷は、想像以上に大きい」
と痛感したと言う。
それでも退路を選ばなかった理由を尋ねると、杉本さんは
「キャリアを諦めたら、母にも『諦めていい』と伝えることになる気がして」
と穏やかに笑った。その言葉に、働くケアラーとしての覚悟が滲んでいた。
- 年齢・性別55歳・女性都内大手電機メーカーで経営企画部長を務めるベテラン管理職。
- 仕事経営企画部 部長(正社員)フレックス&週1在宅可。国内出張・役員報告などハイレベル業務を担う。
- 介護母の介護(要介護3)認知症+心不全を抱える83歳の母と同居。平日デイ週4+訪看週2、夜間は本人が見守り。
- 家族構成母と二人暮らし離婚歴あり・子ども無し。きょうだいは海外在住で実質ワンオペ。
- 介護歴3年睡眠不足と更年期症状に悩みながらも、キャリアと在宅介護の両立モデルを模索中。
夜中2時のアラート、“わからない”が迫ってきた

介護が始まって最初の一ヶ月、特に戸惑った手続きは何でしたか?

要介護認定ですね。書類の“区分変更”や“主治医意見書”──読み慣れたはずの日本語が暗号に見えました。

夜間にアラートが鳴ると伺いましたが、睡眠はどう確保されたのでしょう?

諦めました(笑)。代わりに“90分だけでも熟睡する仕組み”を作ったんです。タイマーで家電を連動させて。
専門用語の壁と、深夜2時の検索窓
認知症が進行した母は、夜中にトイレを探して廊下を徘徊する。
スマートスピーカーが「廊下の動きを検知しました」と告げるたび、杉本さんは資料を閉じて飛び起きた。
戻ってくるとモニターには厚生労働省の PDF。「区分変更申請・在宅要件」――経営企画で慣れた財務用語より難解に映った。
眠気をこらえて検索したキーワードは「要介護3 夜間徘徊 手続き」。
上位に出てくるのは広告記事と数年前のブログ。真夜中のリビングでスクロールしながら、「母の状態はリアルタイムなのに、情報はこんなに遅いのか」と愕然としたという。
“90分熟睡スキーム”という小さな発明
情報の渦に溺れそうになったとき、ビジネス畑の発想が救いの糸になった。
体力を財務リソースと見立て、「90分サイクルで最大効率睡眠を取る」と決めたのだ。
家全体をスマートプラグで統合。母のベッドセンサーが静かなときだけ部屋の照明を落とし、加湿器とアイマスク用ヒーターを連動させる。
初めて仕組みが稼働した夜、「ピッ」という機械音と同時に目覚めた彼女は、
「これで世界が5%優しくなった」とメモに書き残した。
小さな仕掛けでも、“わからない恐怖”と“眠れない現実”の間に橋を架ける――それが管理職ケアラーの新しい武器になった。
肩書きを脱いだ夜明け、同期から届いた“深呼吸”のリンク

杉本さん、“90分熟睡スキーム”でも追いつかない瞬間はありましたか?

ありました。朝5時、母をベッドに戻した直後に会社の障害アラートが鳴り、「もうどちらにも戻れない」と膝が震えたんです。

その時、どうやって立て直したのでしょう?

同期が送ってくれた「2分で整う呼吸法」の動画リンクです。
イヤホンを挿し、ベランダで深呼吸したら“次の一歩”がまだ残っていると感じられました。
“背広を脱げる場所”はスマホの中にあった
杉本さんを救ったのは、プレゼン資料でも医療マニュアルでもなく、同期のたった一行のメッセージだった。
「困ったらこれを見て深呼吸。部長でも娘でもなくただの“ゆか”に戻れるよ」
リンク先はビジネス誌の記事ではなく、海辺の映像に合わせて呼吸を整える2分の動画。
ベランダに立ち、潮騒の音に合わせて肺を満たすと“役割の鎧”が一瞬だけ外れる感覚があったという。
「深呼吸がフレックスより効果的」と同期に返信したとき、スマホの通知を開く指はもう震えていなかった。
“余白”を共有すると、チームの歯車も滑らかになる
呼吸法を取り入れて一週間、杉本さんは部内チャットのステータスメッセージを
「21:00 以降は緊急のみ対応」
と変更した。
それを見た若手は「自分も集中時間を宣言しよう」と倣い、チーム全体のタスク可視化が進んだ。
「介護の詳細を言わなくても“余白が必要だ”と示すだけで、組織は想像以上に動く。
深呼吸のリンクは、私とチームを同時に助けたエアポケットみたいなものですね」と振り返る。
“定時”の意味を塗り替えた『火曜19時ルール』

深呼吸のリンクで一息つけたあと、杉本さんは具体的にどんな働き方を整えたのでしょう?

「火曜だけは19時に退社する」と決めました。最初は怖かったけれど、ラインを“曜日”で固定すると周りも動きやすかったんです。

部下や上司の反応はいかがでしたか?

案外シンプルでした。「火曜19時は母のケア時間なので承認は翌朝に」と掲示したら、提出物が月曜か水曜に自動でシフトしたんです。
“曜日宣言”が生むチームのリズム
火曜19時――社内カレンダーに入れた 30 分前アラートが鳴ると、
メンバーは Slack のスレッドを整理し始める。
「上に合わせる」のではなく、「ラインに合わせて仕事を設計する」文化が芽生えた。
杉本さんは 「管理職が抜ける穴も、予告さえあれば工程表になる」 と語る。
ケアの質も業務効率も“同時に”上がるシナジー
19時に退社した日は、母の入浴介助後にゆっくりハンドクリームを塗る時間ができる。
翌朝5時の会議準備も、頭が冴えた状態で臨める。
結果、部下の資料レビュー時間が短縮し、「火曜以外の残業総量が週3時間減」 という思わぬ副産物が生まれた。
「ラインは限界を示す赤信号じゃなく、“両立の設計図”なんですね」と微笑んだ。
「次は私が道を拓く番」──ロールモデル不在の階段を登る理由

部長職と介護を両立しつつも、さらに役員登用を目指していると伺いました。その原動力はどこから来るのでしょう?

会議室を見渡しても、
“介護を続けながら役員になった女性” が1人もいないんです。
「なら私が最初の実例になろう」と腹を括りました。

“ロールモデルの空白”を埋める挑戦ですね。プレッシャーも大きいかと思います。

確かに重圧はあります。でも母が私を「部長さん」と誇らしげに呼ぶ瞬間、
“諦める選択肢”の方がずっと怖くなるんです。
空席だらけの役員室──だからこそ掲げた旗
同社の役員候補リストには、介護と両立する女性はゼロ。
杉本さんが旗を掲げた途端、部下たちから
「親が要支援になった時に相談させてください」
というメッセージが届き始めた。
ロールモデルの“存在そのもの”が組織の心理的安全性になる──これは経営企画の資料には載らない示唆だ。
“二刀流キャリア”の設計図は社外にも波及する
杉本さんは週1で地域包括支援センターのオンライン座談会に参加し、
「管理職×在宅介護」という枠組みを公開フォーマットにまとめている。
- 火曜19時ルールの設定方法
- デイサービスを“経営会議”に例える可視化シート
- 90分熟睡スキームの家電連動レイアウト
これらを共有するたび、他社のミドル層から「試してみたら離職を踏みとどまれた」とフィードバックが届く。
「諦めない姿」が母を支え、次世代を引き寄せる
母は昭和歌謡を聞くたびに 「ゆかはすごいねぇ」 と笑う。
その笑顔がパワーポイントの KPI グラフよりも、大きな行動指標になった。
「キャリアも介護も犠牲ではない。“次の誰かが楽になる未来”の投資先なんだと気づきました」と結論づける。
まとめ
55歳・女性管理職の杉本さんは、要介護3の母と同居しながら役員登用を目指す“二刀流”の日々を送っています。
① 深夜アラートでも動ける「90分熟睡スキーム」、
② 火曜19時に線を引く「曜日固定ライン」、
③ スマホ1本で切り替える「2分呼吸リセット」──
三つの工夫が〈睡眠・業務効率・心の余白〉を同時に押し上げ、結果的にチーム全体の残業も週3時間減少しました。
ロールモデルが見当たらないからこそ、まず自分が道を示す。
「介護とキャリアは犠牲ではなく、次の誰かを助ける投資」という信念が、社内外のミドル層に“両立は設計できる”というヒントを届けています。
もし肩書きと介護のはざまで立ちすくむ方がいるなら、まずは90分だけでも自分に返す時間をつくってみてください。
その小さな余白が、あなた自身と大切な人、そして職場を同時に支える土台になります。


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